楽しかった日々に、またね。

私が就職活動を理由にジャニーズから離れて1年が経ちました。その1年の間にたくさんのことがありました。

Jr.はいつ居なくなってもおかしくない。

というのはずっと言われてましたが、この1年を通して

デビューしてもずっとアイドルでいることの保証はない

ということを痛いほど思い知らされました。

転職時代と言われている今のこの時代、違う道に進むのはアイドルも例外じゃないんだなと感じてます。


前置きが長くなってしまいましたが、1年前に書いていた気持ちを区切りとして成仏させようかなと思い載せることにしました。すごく重たい文ですがお付き合いください(笑)


もう今更こんなの書くのは遅すぎるとは思います。でもどうしても自分の中で整理したいという思いと綺麗な思い出のまま終わりたいという気持ちから、こういう形で残すことに決めました。


私は関西Jr.だった毛利柊和くんが好きでした。
そして、福福大吉いおとわせーに出会いました。全員を好き!と思えるグループ?括り?になったのはこの7人が初めてでした。

初めて彼を見つけたのは忘れもしない2014年春松竹でした。私にとって初めての松竹で友達が当ててくれた花道横の席でした。そうです、いわゆる神席です。
浮かれ気分で当時メインに担当がいたのでその人ばっかり目で追っていました。けれど、なんとなくいっぱいちっちゃい子が踊ってるなぁと花道を見ていた時、目の前にいた彼と目が合いお辞儀をされました。私はびっくりしてえっ!?と固まりましたが、あの大好きな笑顔で笑ってくれました。
もちろん名前なんて知る訳もなく、ずっと誰だったんだろうと探してました。
そんなある日、康二くんの後ろであの笑顔で笑うあの時の子がいました。
あーーーーーー!!!やっと見つけた!!!
あの時の感動は今でも覚えてます。お世辞にも推されといえる立ち位置にいなかった彼の顔と名前が一致したのか全然わかりません。
これが彼との出会いでした。

しかし、その後は特に応援するわけでもなく、気にかけることもありませんでした。
そんな時、当時の担当が辞めることになりました。
最後のステージで彼が元担に抱きつきに行った!!というレポが流れてきました。
絶対に上下関係を崩さなかった彼にとって前に出るという勇気のいる行動だったと思います。後で怒られたかもしれないけど、その時から自分の中で彼がちょっとずつ応援したい存在になっていきました。

そんなある日、友達に彼の遭遇話を聞きました。westのライブの帰りオタクでいっぱいの駅で彼が電車で帰るオタク達にばいばーいと笑顔で最後まで手を振っていたそうです。
その話を聞き、この子を応援したい!!!と彼を追う日々が始まりました。

そこからは沼にズブズブはまるばかりでした。
久々に入ったクリパでは始まる前に泣きそうになりました。いや、泣いてました(笑)普段そんなこと絶対にないのに自分でもびっくりでした。端っこで踊る彼に、どんな位置にいようと輝く彼に、心を奪われぱなしでした。
春松竹、なうぇすと、まいじゃにトーク、日誌、ラジオ、新聞、、、DKへの波がこっちから、あっちからと、目まぐるしく毎日が過ぎ、このまま勢いが止まらないんじゃないかとワクワクが止まりませんでした。

けれど、そんな楽しい日々とは裏腹に彼の周りの子たちが1人また1人と違う道に進み出しました。
正直彼も辞めてしまうのではないか、という危惧は常にありました。
初めて彼が日誌の担当をした時に、この子多分高校卒業の時にはいなくなっちゃうなと感じました。なんでかは分かりません、でもそれまでにたくさんお別れを経験してきた勘です。

2017年夏になると彼らのホームである松竹座に彼の姿はなく、先輩のバックという大舞台で活躍していました。その姿を見れなかった事がもしかしたら1番の後悔かもしれません。そんな夏の終わり頃、松竹座の千秋楽の前日に彼が晴太郎と見学に行ったというレポが流れてきました。普段見学に行かない彼が何でだろう?と思ってましたが、一度は辞めたと思われたRhenの最後の舞台を見るためだったんじゃないかなと思ってます。

私にとって彼の最後の現場になった体育会では、DK組の最後の有志が見ることができました。いるか分からず朝早くから入って、ドキドキワクワクしながら今か、今かと待ち、彼の姿を確認した時、嬉しくてたまりませんでした。ああこれがJr.担の醍醐味だと感じました。
晴太郎とわちゃわちゃ楽しそうにしてる姿、
ずっと騒いでたのに大晴が走り出した瞬間祈るように応援してる姿、
クロバットをしたくて悔しそうにしてる姿、
この時、不安定になっていたDKの位置はまだ終わってなかったんだと安心したと同時に、これからどんな景色を見せてくれるんだろうと期待しかありませんでした。

しかしそんな気持ちとは反対に、秋になるとまた彼の仲間から大晴と晴太郎の2人が受験勉強のため休業に入りました。2人がいなくなってからの彼は必死に仲間を探しているように見えました。
雑誌のインタビューではいつもならつっこんでくれる仲間がいなくて、
テレビ出演では誰かと絡もう、誰かと絡もうと必死な姿に少し心が痛くなりました。

そして、やはり彼とのお別れの時はやってきました。
あけおめ魂にDKを唯一繋ぎ止めてくれていると思っていた彼の姿はありませんでした。
見つけれてないだけでこの中に絶対いる
と必死に探しました。
でも、何度探してもそこにはもう彼はいませんでした。
コンサートのことは正直ほとんど覚えていません。 
楽しかったけれど、
あぁここで本当は踊っていたんだろな、
ここで見せ場があったんだろな
と考えると悲しくて、悔しくて、
何度も泣きそうになりました。
でも、覚悟はある程度していたので、
なんだかんだ意外と冷静な自分がいました。

辞めてから彼の姿や発言に対してたくさんの声がありました。今考えると、しょうがないところしかないです。
でも、手のひらを返した言葉たちにもう見たくない、
本当はそんな子じゃない、
きっともっといい子、
と何度心の中で叫んだか分かりません。

しかし、彼の口からもうダンスはやらない、
DK組が何かわからない
と聞いたときは、
あぁもう終わりだ、あの時の彼はここにはいなんだ。
とこれ以上知ってはいけない、知りたくないと私は彼のことを検索するのを辞めました。

けれど、これだけは声を大にして言いたいです。

アイドルという仮面を被っていた彼は紛れもなく誰よりもかっこよかった。

仲間と楽しそうに踊る姿
華麗にアクロバットを決める姿
何より礼儀はしっかりしている姿
先輩を立てることは忘れない姿
敬語は苦手だけど必ず俺ではなく僕を使う姿
遭遇話では1番対応良かったという声
正直に言うと、応援している間も調べればなんでも出てくるこの時代だからこそ色々目にすることもありました。でも、仕事をしている間のこの姿に嘘はなかったと思います。
いつからアイドルという仮面が彼にとっておもりになっていたのかわかりませんが、その仮面を被っている間は最後までアイドルでいてくれたと思ってます。
今はまだ難しいかもしれないけど、いつかまた振り返ったときにあの仕事をしていてよかったな、と思ってくれる日が来てくれることを祈ってます。

DKがバラバラになって2年が経ちました。
彼らが作る本当に仲がいいんだろうなという空気間が大好きでした。今は離れてしまっているけど、彼らの何人かが戻って来てくれているという話を聞きました。その話を聞いてすごく嬉しい反面、同じ括りで活躍してないことの悔しさや悲しさもあります。そこには、私たちには分からないあの事務所特有の大人の事情があるのでしょう。
心のどこかでまた彼らがわちゃわちゃしてる姿を見たいという気持ちはいっぱいあります。
でも、彼らが仕事という関係性がなくなった今でも
繋がっていてほしい、仲良しでいてほしい、ただそれだけです。

長々と語ってきましたが、この気持ちとは今日をもってさよならします。



たくさん、たくさん想い出をありがとう、またね。